2007年12月05日

パレスチナ人はどこにいても自分たちの状況を伝えている。皆さんは…

さて、ついに集会当日の模様をお伝えするときが来ました。
 
 12月1日、東京の文京区春日にある文京区民センターには、100名あまりの人たちがファトヒさんの言葉を確かめに集まってきました。実行委員会では180部の資料を作成していたので、それと比べるとちょっと集まりは少なかったのだけれど、それでも話をじっくり聞こうという参加者たちの思いは会場にあふれたように思います。
 
 集会は司会の開会の挨拶のあと、主催者代表からのこの集会を開催するにあたっての経緯についての話から始められました。
 今年2007年は国連によるパレスチナの分割決議から60年、そして第三次中東戦争によってヨルダン川西岸・ガザ回廊を含むパレスチナ全域がイスラエルによって占領されてから40年の年となります。この歴史的な節目をパレスチナに国際社会の目を向ける契機にしようと、パレスチナでは170団体が連名した対イスラエル・ボイコット(BDS)キャンペーンが呼び掛けられ、世界中からそれに呼応する声があがっています。そうした動きに繋がるものとして、大阪の「パレスチナの平和を考える会」が呼び掛け、そしてこれに日本全国8都市の人々が応える形で、今回のスピーキング・ツアーが実現しました。そのような経緯を紹介したあと、主催者代表よりファトヒ・クデイラートさんが会場の参加者に紹介されました。彼は1967年生まれ、つまり彼の半生はすべてイスラエルの占領の下にあったわけです。

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 主催者に対する簡単な謝辞のあと、ファトヒさんは語り始めました。
 「近所に新しい人がやってきたら、水を用意してあげなさい」──そんな彼の村のいいつたえを枕にしつつ、彼はまずは村について語ることから話を始めました。民族浄化に晒されているかのような過酷な状況だという彼の日常を、東京の生活ですべての駅が検問所だったら、など話し手の日常感覚に訴えるような例えを交えながら語っていきます。そうした検問所をパレスチナの人々は車を降りて越え、運転手は衛兵の前で裸になって怪しい者でないことを明さなければならなりません。ウェディング・ドレスにタキシードの新婚カップルも、もちろん徒歩です。
 ヨルダン渓谷の農民は、塹壕などの物理的障壁によって自らの耕作地に行くことを拒まれ、不耕作地の没収とユダヤ教徒に限定した転売という手段で土地から切り離されて生きます。農業や生活のための用水からも、同様にして排除されます。そうした様々な迫害と収奪は、ばかばかしいことに文書で示されます。ファトヒさんは言います、「皆さんもこの書類を撮って、日本のイスラエルの大使館に『これがあなたの国の正式な書類か』と聞いて見て欲しい」。

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 つづいて家の話。オスロ合意によってB地区と定められた地域のなかにひしめき合うパレスチナ人の街区に比して、1つの家族がそのすべてのパレスチナ人の土地の総和よりも大きいというような、あからさまな環境の違い。そしてつつましい家も、補修の権利さえないような劣悪な状況にあるだけでなく、家屋破壊にさらされる。2005年の6月には、4時間で22軒の家が破壊されるような事例もあったそうです。
 そのようなパレスチナの状況に対して、国際社会はどうなのか。「パレスチナ人はどこにいても自分たちの状況を伝えている。皆さんにも果たすべき義務があるのではないか?」穏やかながらも、強い口調で彼は私たちに言いました。
 
(つづく)


posted by in東京 at 02:12| 集会の報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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